この記事はtaka-chan68のプロフィールをつづっています。
プロフィール
このブログはtaka-chan68が運営をはじめてまだ細々と続けています。
年齢は現役卒業した72歳、早いもので現役を卒業してすでにもう12年が過ぎようとしています。
家族は夫婦2人に子供3人
子供は長男および次男が別居、3男が同居しています。
猫1匹もいます。
ただしこの猫は地域猫のようなもので、毎日我が家にて食事をし好きな時に出て好きな時に帰ってくるといった自由気ままな猫です。
プロフィール/生い立ち
昭和世代の子として栃木県の片田舎に生まれました。
プロフィール/幼少期
子供のころから小柄で、残念ながら今でも女子の平均身長にも届いていないです。
子供のことから運動音痴でほかの子供が普通にできることもなかなかできないといった調子で自分に自信が持てなかった子でした。
ただおもちゃを壊してはまた組んだりといった遊びは好きで、中学生のころにはラジオ受信機を作ることに興味をもってました。
田舎の中では部品もなかなか集まらないと町に出て部品を探したり友達と交換し合ったりしながら作っては、異常が見つかり頭をひねるといったくり返しをやってました。
かんたんなラジオ受信機を作ってみてもラジオがならず、原因を探ることのくり返しをやってました。
ただ田舎だったこともあり、外に出て走り回ったりしたことはよくありました。
辛抱強さはこのころに育ったと思います。
プロフィール/高校生活
高校は工業高校への進学に興味を持ち工業高校への入学となりました。
高校でのクラブ活動はラジオ技術を発展させてアマチュア無線クラブに入部、日本国内のみならず海外との交信に明け暮れて高校生活を過ごしました。
特に海外のアマチュア無線家との交信は興味が尽きませんでした。
この延長線上に海外好きの僕がいるようです。
下校時間も忘れて暗くなってしまったことなどたびたびでした。
通学手段は自転車で一山超えてかえらなければならなかったため、なかなか大変な高校生活でした。
しかしその分体力維持には好結果だったようです。
なぜか勉強のことは思い出せないが、クラブ活動のことはときどき思いだすことがあります。
プロフィール/現役のころ
高校を卒業後某大手電気会社に就職、当時成長期に入りかけていたカラーテレビの製造部門に配属となり毎月のように増産される方―テレビの生産に嫌気を感じていたのも事実でした。
まもなくVTRの生産が開始されるとの情報を得てVTR製造部門への移動を志願しました。
晴れてVTR生産に従事することになったのですが、年が変わるごとに右肩上がりの成長を見せたVTRは毎日のように残業、休日出勤の連続でした。
この時期海外への輸出や海外工場への新規導入や、増産など拡大が激しくなり、海外赴任の誘いがありすぐに手を挙げて「行きます~いきます」状態でした。
高度成長期の真っただ中にあった当時は早く言えばだれでも入社できたような時代だったのです。
時代は昭和「モーレツ社員」などという言葉がはやっていた頃、仕事は淡々とこなすも相変わらず引っ込み思案の性格は克服できず、人とのコミュニケーションがうまくいかずに一歩踏み出せない。
特に女性との距離を縮めることはなかなかできないと言った日々が続き、交際相手が出来るまでには相当の時間を費やしたものだ。
残念ながら今でもチビであることに変わりなく、現代社会の中では女子の平均身長にも届かない150㎝足らず。
個人的には平均身長と言った物差しでの表現方法は好きになれませんが、今では気にしないことにしています。
しかしながらこのコンプレックスを克服できたのが、意外にも海外への出張の機会だったのでした。
コンプレックスを克服できた海外出張
日本国内での仕事の進め方、働き方、人間関係、コミュニケーションに何かしっくりしない感覚を感じていた僕は、舞い込んできた上司からの海外出張の指示に飛びついたのです。
もちろん初めてのことなので、不安の塊でした。
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- どう行けばいいの?
- 飛行機に乗ったことないけどどうするの?
- 言葉が異なる海外で、日本語しか話せない僕はどうすればいいの?
- 仕事の出張でいくのに、ちゃんと仕事できるの?
しかしながら、結果的には好奇心の方が先に立ち「自分を変えるためにも異文化の世界に飛び込んでみたい」とすぐにオッケーしたのです。
出張先はアメリカ合衆国西海岸のロスアンジェルス、女子の平均身長にも満たないようなチビの僕が大柄な体格ぞろいのアメリカ人社会の中で働くことなど僕自身やっぱり不安はいっぱいでした。
言葉の問題もあります。
現地には日本人スタッフもいることから安心できる部分はあるも、直接会話が出来ないもどかしさは当然ありました。
でもアメリカの地を踏んだ時、目に入ってきた風景の中には大柄な人ばかりでなく僕よりも低身長であったり(小人族という種族が居ることを後から知ったのだが)、異様に太っていたり様々の人たちがいることを知ったのです。
チビである自分が日本で暮らしてきた中で、自分は劣っているのだ、脚は短いし運動神経は劣っているしと劣等感を感じていたのが事実でした。
アメリカの地に降り立った時の第一印象が、日本にいるときよりも楽にいられそうな雰囲気を感じたのです。
言葉が通じないので細かな部分まではわからないのですが、多種多様な人種が居て皆自信をもって生きている、仕事をしていると感じることができたのです。
自分の意見をきちんと持って、アピールしていることを感じたのです。
今までの日本の中ではほぼほぼ日本人同士の中で比べては引っ込み思案を感じ、チビであることに劣等感を抱きながら、自信を持てず過ごしたコンプレックスの塊のような自分の殻を破れそうな感覚を持っていたのです。
例えチビであっても、太っていても、人より劣っている部分があったとしても、比べる必要は全くないのだということを知ったのです。
海外出張、赴任を繰り返した日々
ロスアンジェルスの出張は約ひと月オーバーとなりました。
当初3週間ほどの予定だったのが業務の遂行上延長を繰り返し、結果的に長くなったものです。
本人はこの状況を喜びと捉え滞在を楽しんでいました。
その間業務以外の時間は出来るだけ、外に出向き生の英語を耳にすることや、市場調査に充てたものでした。
街に出れば職場以上に多様な人種の環境を肌で感じることができて、今まで自分の中で比べていたものはなんだったのだろうと自問してみました。
海外での生活環境や異文化に触れて益々海外に興味を持った僕でしたが、会社を辞めて海外を転々とする事は難しいと考え会社の業務推進の中で積極的に海外へ出向くことにきめたのでした。
海外で働くことの醍醐味は自分の力で、多くのことを成し遂げなければならないことです。
国内での職場、職域の多くはどうしてもセクション単位での仕事の進め方になりますね。
だからどうしても限られた空間の中での業務推進が求められる場合が多くなるでしょう。
しかしながら企業戦士が海外に出て働く場合、セクションの枠を超えて働かなければならない事案が多くなります。
企業の戦士として海外派遣されていたとしても、日本人スタッフが十分にいるなどということはほとんどなく、多くは部署に一人二人のレベルなので、ほとんどの業務を現地スタッフと共にこなさなければならないことになるので広く知見が求められるのです。
それは個人で起業するのと同様に大きな責任も介在することになり、自分自身を成長させてくれるいい機会となるのです。
ロスアンジェルスへの海外出張を皮切りに、赴任・出張した渡航先
一度海外出張を経験した僕は、海外で働くこと、異文化に身を置くことに魅了されその後様々な国へと海外出張、赴任を繰り返します。
アジア圏 ・・シンガポール、マレーシア、中国、香港
ヨーロッパ圏・・ドイツ、イギリス、トルコ
アメリカ圏・・北米ロスアンジェルス、サンディエゴ(赴任期間1.5年)、メキシコ、
南米ブラジル(サンパウロ&マナウス2拠点、赴任期間延べ約8年)
他にプライベートでの訪問先
ポルトガル、スペイン、タイ、ヴェネズエラ、ペルー、パラグアイ、ボリビア、コロンビア、ギアナ等
ちなみに僕は若いころから、ラテン系の音楽を好んで聴いていました。
延べ8年間に及んだブラジルへの赴任生活で、益々ラテンの世界観が好きになっていきました。
きっとコンプレックスで閉じ込められていた気質がラテン文化に触れて表に出てきた感じです。
人間はどんな状況にあっても、環境と意思によって変えることができるのだと実感した瞬間でした。
僕が経験から学べたことは、コンプレックスに感じていることは思い込みの部分がおおきいという事でした。
どんなコンプレックスでも前向きにとらえて、一歩踏み出す勇気を持てればを殻を破ることができるのだと確信できました。
現役生活を卒業したその後
40年超の現役生活を卒業した当初は、やっと企業生活から解放され自由が手に入ったとウキウキしていました。
ところが卒業してしばらくたつと自由になって悠々自適のはずなのに、何か孤独にさいなまれている自分がいることに気づきました。
企業人としての人間関係も途絶え、自由を謳歌する感覚よりも孤独感、寂しさを感じてしまう日々が続いたのです。
そんな時に声をかけてくれたのが地域のシニアの先輩方で、同じような経験を乗り越えて日々の楽しみを探してきた方たちからお誘いを受けたのが、民謡でした。
練習仲間や大会での人との交流など自分が求めていたものがそこにあありました。
そしてその輪はさらに広がり、民謡のみならずグランドゴルフの輪にもつながっていきました。
グランドゴルフの練習仲間や大会での初対面の人との交流なども生まれ人間関係の輪がさらに広がっていったのです。
民謡やグランドゴルフを一生懸命楽しむことでさみしさを感じることもないのだと悟ることができた瞬間でした。
読んでくれたあなたに伝えたいこと
これまでに書いてきたとおりに、僕は自分に自信の持てないダメ男でした。
ある時上司からの海外出張の指示を自分を変えるための転換点と捉え一歩踏み出す勇気を持てたことが転機のはじまりでした。
そしてさらには現役卒業後にシニアの先輩からかけていただいた誘いの数々に大きな自信を得たのです。
こんな方におすすめ!
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- 自分に自信が無くて引っ込み思案になっている
- 興味あることに今一歩踏み出せない
- コンプレックスを抱え殻を破れない
- なんでも人と比べて落ち込んでしまう
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当てはまるあなた、一度ゆっくり自分を見つめなおしてみませんか、この記事が参考になればうれしいです。
人は誰でも多かれ少なかれ悩みやコンプレックスをもっているもの。
そしてそれが唯一無二の強みになることもあるのです。
自分だけの狭い世界、狭い知見のなかで判断することは自分にとっても、他人にとっても良い事ではないことを知ったのです。
異なった文化、今までと違う環境のなかに、一歩踏み出してみる勇気を持てたこと、まさにそのことが僕の人生の転換点になったのでした。
チビで引っ込み思案というコンプレックスを抱えていた僕が、異文化を知って克服できたのです。
このことがこのブログを書き始めた理由です。
僕のすきなこと
ラテン系の音楽や文化に触れることが好き。
ラテンのノリが自分本来の気性にあっている感じがする。
それはブラジルで過ごした約8年間でさらに強くなったのかもしれません。
人と人との交流はとても好きなことです。
ラテン系のつながりもそうですが、民謡やグランドゴルフといった新たな挑戦での人と人との交流もとても大好きですし、大切にしていることの一つになっています。
僕の嫌いなこと
他人と比べること。
平均という価値観
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