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はじめまして ブログSenior power.comを運用しておりますtaka-chan68と言います。

 

子供時代~学校生活

僕は昭和26年に栃木の片田舎で生まれた僕は、生まれながらにして小柄だったこともあり、自分に自信がなかったのか引っ込み思案で、いつも親の陰に隠れているような子供でした。

小学校も中学校も並びの順番はいつも先頭、教室内での席順もいつも最前列、その時最前列も悪くない位置だということを知った。

何故ならば意外と居眠りしていても見つかりにくいのだ

 

引っ込み思案の性格を変えることはなかなか難しかった。

手を上げることができなかったり、積極的に発言ができない等、今にして思えばもったいないことをしたと反省しきりです。

 

当時の田舎の学校でも生徒の数は多かった。

小さな村でしたが、小学校でさえも一クラス40人前後の教室で2クラスある学年もあり、今の時代とはあまりにも違っていたなと感じてます。

いまでは、市であっても生徒の数が確保できず、クラスや学校の統廃合が行われるような変わりようで、僕の母校も今では廃校となり施設などに様変わりしている。

ちょっと寂しいばかりである。

 

そのような小中学校時代を過ごし、中学卒業後に工業高校に進学、電気科を専攻したのだが、当時の工業高校電気科は弱電気から高圧電気までカバーし,広く浅くと言ったイメージの方が強かった。

 

当時はまだコンピューターやデジタルと言った教育は一般的ではなく、モーターの原理や応用、家庭用電気工事やら真空管ラジオの組み立てやらと今とは大きな違いだ。

 

体が小さく運動神経も鈍かった僕は、高校生活になっても運動部に入ると言った選択肢はなく、帰宅部で何をするわけでもなかった。

当時はやっていたアマチュア無線には興味を持ち、クラブの先輩に声かけられたことをきっかけに、アマチュア無線クラブに入部、海外や遠方との交信を楽しんだものでした。

元来飽きっぽい性格なのだがアマチュア無線は意外と続いて、高校生活を離れ仕事に着いてからも海外との交信や、受信機などの自作などしながら結構はまっていた。

元々体が小さい、運動が苦手というコンプレックスが、体を使わない文化的な活動に没頭していったというところです。

但し元来の飽きっぽさがだんだん出てきて、年を重ねるごとに楽しむ頻度が少なくなり、携帯電話の普及に伴ってアマチュア無線から遠ざかってしまった。

 

実社会に出て

高校卒業後は某大手の電気メーカーに入社し、定年までの約40年超を過ごした。

テレビの製造拠点を県内に設立したその企業は、設立当初より人材を集め生産開始時点では白黒テレビ、まもなくしてカラーテレビの製造へと展開した。

入社当初カラーテレビ製造工場に赴任し日本国内での工場勤務、後にはビデオテープデッキの製造がはじまり、転属となった。

この工場は日本国内市場はもとより、海外輸出も行う一大拠点であったため後半は主に海外出張、海外赴任を繰り返していた。

※主な出張、赴任先
北米、南米、東南アジア(マレーシア、シンガポール等)、イギリス、トルコ等、ブラジル

 

現役時代の担当業務は品質保証関連、お客様にご迷惑をおかけしない商品づくりの為、日々商品テストや品質管理システムの構築に奔走していたものです。

最初に海外に出たのはアメリカロスアンジェルスであったが、当時はまだ海外出張等珍しく、成田空港まで同僚が送迎をしてくれるほどであった。

今では考えられない光景、そんな状況だから言葉もはなせない、中学レベルの単語を並べボディアクションを交えて何とかコミュニケーションをとっていたことを追い出す。

 

その時に感じた大切なこと=伝えたい想いの強さでコミュニケーションは成立する。

 

以降ブラジルアマゾン地内の都市マナウスへの現地工場支援の為の赴任、同じくサンパウロの現地工場立ち上げ赴任などで延べ8年超のブラジル単身生活を経験した。

今にして思えば我が人生にとってとても貴重な体験となったことは言うまでもない。

赴任期間以外でもアジアやブラジル、欧米などへの海外出張を繰り返し、定年後にはアメリカのカリフォルニア州サンディエゴ市にある現役当時の工場支援の為、1年半の赴任も経験した。

北米、南米の赴任期間やその他地域も含めた海外出張の間には、現地での交通事故の処理に奔走する羽目になったり、空港では荷物が届かないと言ったハプニングに見舞われたりと、1人で何とか処理しなければならなかったことも多々あった。

つたない英語(当初はほとんど単語を並べただけ)でのコミュニケーションに汗をかきながら四苦八苦したものだ。

しかしそのどれを取ってみても、何か事が起きた時の対処法として身についているようだ。

 

定年退職後の歩み

定年退職後は地域の民謡のグループに声かけてい頂き、民謡の練習を開始した。

民謡の練習を重ねながらシニアクラブへの加入を勧められ流れでそのまま加入、グランドゴルフの誘いも受け、自然な流れのまま加入してしまった。

 

シニアクラブで活動されている面々が人当たりが良く、リスペクトしながら活動されている事が感じ取れ、自然に付き合っていただけていることが最高にうれしいのだと実感した。

 

多種多様なクラブ活動の中で、出会ったグランドゴルフが近年はまったものの一つ。

正直出会った頃は、一つのボールと一つのステックでゴルフのパターの様に打って遊んでいるだけに見えて面白いとは思えなかった。

簡単に入ってしまいそうで、よく皆さんやってられるものだなぁ~と感心してみていたものだ。

 

ところが誘われて始まってみて、日にちが経過すればするほど、なかなか奥が深くて簡単に楽しめる競技だが難しいものだなぁ~と感心する事ばかり。

見ているのといざやってみるのとでは大違いで、思うようにホールポストにボールを入れることができない。

 

グランドゴルフのルールや用具などの解説はブログの中で説明しているので省略するが、どんなところでも短い時間でも簡単な用具で練習や大会ができることなど、身近なスポーツとして広がっていく可能性を自分の目線で感じた。

これほど楽しく簡単にプレーができてコミュニケーションツールとして効果を発揮するこのスポーツがシニアのみならず、広く普及すればいいと思う。

 

<グランドゴルフを始めて良かったと思う事>

  • 知らない同士でもすぐにコミュニケーションが取れる。
  • マナーやルールをお互いの目線で語り合うことで理解が深まる。
  • 適度に歩くこと、笑う事、話をすることが自然にできることは健康アップに繋がる。

グランドゴルフの魅力を肌で感じ、まだ知らない人やもっともっと深く知りたい人に届けたいとの想いから、このブログを立ち上げている。

 

それからもうひとつの楽しみは、趣味と健康維持を目的にした山登り。

近県の低山が主ですが、周囲には多くの山々が連なっており、主に低山~2000m前後の山に登って、季節の草花や景色を見て癒されてます。

 

登っているときは、お疲れモードでなぜこんなところに登っているの・・・と考えながら歩いていても山の頂上など絶景に出会うと登ってきた時の疲れなど忘れてしまうのもいいです。

ほんと目の前に急坂など現れると、正直戻りたくなります。

仲間に励まされ、一緒に登ることでクリヤーしたときの嬉しさはひとしおです。

登り切って山頂からの絶景を見た時、やっぱり頑張って登ってきてよかったと思えます。

 

シニアクラブの活動の一環で施設の慰問を行っている。

我がクラブのメンバーは歌が好きな人、踊りやコントなど芸達者も多く、主に老人福祉施設を訪問し慰問活動を続けてきた。

残念ながらコロナウィルスの蔓延に伴い、2~3年活動中止に追い込まれてきたが、再度活動できる日も近づいてきたであろう。

その時をメンバー共々心待ちにしている。

 

このブログは定年を機に、まだまだ元気なシニア世代が、仕事を離れても活気ある活動にシニアパワーを注げるようなネタの提供や、情報交流の場になればとの想いから立ちあげたものです。

 

その他

健康維持のために毎日5㎞のウォーキングや時々自転車でポタリングなどを楽しんでいます。

 

楽しいこと:猫と戯れること,グランドゴルフ、仲間との慰問活動

 

座右の銘:人は信用すべし、されど頼りすぎるべからず


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最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

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